高1の時の夏休みに1ヶ月アメリカ横断バスツアーに行かせてもらう。アメリカの大きさにぶったまげて、いづれはきっと留学するぞと心に誓う。高校は進学校に進むが大学受験に失敗。河合塾予備校を経て、晴れて大学入学のため上京。大学が東武東上線沿線にあったので、“だXX(埼)玉”と言われるも池袋界隈に出没。当時建ったばかりのサンシャイン60への動く地下道をよく走っていた。高いビルを見るために時々新宿(副都心)にも足をのばす。
大学3年次にクイーンズランドにあるグリフィス大学に1年間交換留学。本当はアメリカに行きたかったが大学がオーストラリアの大学と提携していたので、アメリカからオーストラリアに進路変更。勉強もせず週末は大学内のパブでXXXX(フォーエックス*ビールの銘柄)ばかり飲んでいた。ビール好きはここから始まる。長い夏休み中は、2ヶ月間のアンセット(現在はカンタスに吸収合併)のバスチケットを買いバックパックでオーストラリアを半周する。
行ったところは、ケアンズ(当時は南国の田舎町で今みたいな高層ホテルなどは一つもなかった)、ポートダクラス(小さな田舎の漁港だった)、キャンベラ、メルボルン、タスマニア、アデレード、アリススプリングス、エアーズロック。タスマニアでは、バスチケットが使えなかったので10日ほどヒッチハイクした。ロンチェストンからビッシノまで山道だったのであまり車が通らず羊を運ぶトラックにやっと乗っけてもらう。途中パブで休憩しビールをご馳走になる。タスマニアの人たちはとても親切でヒッチハイクの車を降ろされると、すぐに次の車が止まって待っていてくれたほどだった。エアーズロックは本当にすごかった。あんなに大きな1 枚岩見たことない、一度は絶対行ってみるべき。
無事4年で大学卒業後、外務省外郭団体による派遣員となりシドニーの総領事館で2年間勤務、2度目の来豪を果たす。任期満了後一旦日本に帰国。その間ビジネスビザを申請していたが認められず、渡豪を断念する。ビザ申請は就職予定の会社がしてくれていたが、弁護士さんに頼まなかったことを後悔した。(この悔しい思いが現在の職につながったのだと思う。)
その後、日本で職探しをするが、先々の安定を求めて教員資格を取り教員採用試験を受け合格。東京で中学の先生をやっていた。しかしオーストラリアへの夢断ち難く、密かにオーストラリアでの職探しをし続け、運良く宝石免税品販売会社で職を得て3度目の正直で1989年8月に渡豪を果たす。
以来、宝石免税品店営業、旅行会社(主に日本からのお客様のアレンジ)、英語学校のセールスとアドミン、大学関連留学会社を経て、2002年Brett Li & Associates 入社、ビザエージェントの資格取得。学校で働いている時に生徒さんからどうしたらもっと長期滞在できるのか、働くにはどうしたらいいのか、永住権を取得するにはどうしたらいいか等々、相談を受けるのでビザについて正しい知識の必要性と重要性を感じ、移民法について猛勉強し移民手続代行業者の資格取得。資格取得から700件以上のケースを扱っている(2022年3月時点)。
ビザ申請の状況は一人一人すべて違っているので、その人が一番取りやすいビザは何か、どうしたらそのビザが取れるのかなど、きめ細かいコンサルを心掛けている。オーストラリア大好き人間が、誠意をもってオーストリア大好き人間の成功と幸せのためにサポートします。
オーストラリア現地では、よく日本のことを聞かれるので、簡単な歴史や社会文化など知っておくと良いと思います。
単語だけでもいいので、おしゃべりになってください。
時間はあっという間に過ぎるので、やりたいことはお早めに!
日本を一歩出ると、世界が変わります。
是非、あなたにしかできない体験をして、本当の自分を見つけてください。
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